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バギオへの慰霊ツアーに行ってきたので、ブログを書きました。
フィリピンで留学するとき、どこに行ってもそこには必ず70年前の日本人の跡が残っています。そして知っておいた方がいい歴史がそこにあるはずです。観光もいいですが、このような場所を見つけたら是非行ってみてください。
11/17-19 バギオ
11/19-20 クラーク(アンヘレス)
11/20-22 マニラ・コレヒドール島
太平洋戦争で散った親族の慰霊ツアー。20歳でバギオの山奥で敗走の最中亡くなり、未だ遺骨も見つかっていない。
緒戦半島で編成された虎工隊第19連隊所属。その足取りを追うツアーとなった。北ルゾン日本人会会長によるガイドにより、ついに唯一「虎」と刻まれた日本兵の墓を見つけることが出来た。
敗戦後、残った日本人・日系人を守るために生涯を捧げたシスターの話。
今では普通に車と人が行き交う道路。慰霊碑も何もないその場所は、追い詰められた日本軍の屍の山があり、その死体の上を這って進んでいたという話。
次に訪れたクラークにあるマバラカット基地は、初めて特攻隊が結成され、特攻隊による命が捧げられた場所。18年間、こうして訪ねてくる遺族のガイドをしている日本人女性に当時の話を聞くことができた。
残念ながら、このクラークのメモリアルが開発によりなくなろうとしている。現にこの場所は既に立ち入り禁止になってしまった。なんとか現存してるのもこうして現地に留まり、必死に働きかけてくれているひとたちのお陰。
日本の防衛省に対し「お前たちの大先輩が死んでいったのにどうして無視するんだ!」。たった一人、この地で日本人の歴史が忘れられないよう人生を捧げている女性がいる。
そんなマバラカット基地から特攻隊がたどり着いた一つの重要拠点「コレヒドール島」。ここはまさに硫黄島のような島で日本軍と米軍による奪い合いの激戦が繰り広げられたところ。
両陣営の指令本部、病院のあったトンネルで写真を撮ると必ずオーブが写り込む。霊感の強い叔母はすぐに具合が悪くなった。
最後の写真は巨大なガソリンタンクが爆発したものがそのまま残されている様子。なんと敗戦した日本軍はこのタンクに火をつけて自決した。この場所で4500人もの日本人が死んだ。
そしてこのコレヒドール島をガイドする日本人はいない。この地のガイドは、日本語を話すフィリピン人のガイドだけ。68歳の彼はこう話す。
「日本に勝って欲しかった。日本が勝ってたらフィリピン人沢山仕事ある。米軍勝った。あいつら勝ってもフィリピンで何も仕事生まれない。資源開発して持っていくだけ。そして飲んで騒いで寝るだけ。ほんと悔しい。私アメリカ人のガイド全部断る。」
ロドリゴ大統領のアメリカ嫌い発言の裏にはこのような事実も隠されている。
戦勝国が歴史を創る。コレヒドールから帰りの船舶の中、アメリカ側によって作られた当時のコレヒドールの様子がビデオで流されている。ビックリするくらい日本人は鬼畜のように描かれている。それを見ているアメリカ人、フィリピン人、ヨーロピアンのツアー客。
もう二度と祖国の土は踏めないことを匂わせた遺族の手紙。
自分のことよりも家族のこと、そして日本のことを心配している内容で溢れていた。そしてそれを書いたのは当時19歳の日本軍。
「おかあさーん!」と死んでいった17歳の日本人兵士。食べるものも水もなく、ガリガリになってまで戦っていた様子が写っている。
日本という国が良くも悪くもどのように成り立っているのか、そしてそれはどのような犠牲のもとにあるのか、日本人はもっと関わっていかないといけないと猛省するツアーとなった。