0120-504-216
営業時間:平日9時〜18時
「出張!なんでも鑑定団」を見ていて思ったことがある。
それは「多くのひとが他人の価値観に左右されて生きている」ということ。
もちろんあれは、お笑い番組なので予想した額より大幅に低ければ会場は笑いに包まれる。
でも、万を辞して登壇した人は、あまりにひどい結果に奈落の底まで突き落とされた気分になる。
例えば「掛け軸」。
見るヒトが見ればわかるかもしれないが、そんなの骨董品収集家ぐらいしかわからない。
ぼくみたいな素人目が、1000円の評価がついてしまった掛け軸をみても「いい仕事してますね~」って言ってしまう。
おそらく一般人であれば、そんなもんじゃないだろうか?
床の間に飾ってあるだけで、より高価なものに見えたりするものである。
ぼくが言いたいのは、「そう感じるならそれでいいじゃん」。
鑑定に出すまで、本人は妻子より大事に扱ってきた代物(笑)鑑定で奈落の底に落とされるぐらいなら、自分が感じる価値を優先して生きていくほうが幸せじゃないだろうか?
売る目的なら別だけど、ずっと持っているものならその価値観を大事にすればいいんじゃないだろうか。
わが子がたとえ不細工でも、見捨てたりしないでしょ?むしろ世界で一番かわいく見える。
他人が決めた価値観なんだから。自分が大事にしたいものは見えるものでも見えないものでも大事にしたらいい。
「お金がある=幸せ」
この価値観を無理やり持とうとするから逆に不幸になる。
日本と海外を行き来してると、毎回それを感じる。
人の価値観で生きるんじゃなく、自分の価値観で生きることに切り替えた瞬間、人は幸せになる。
ぼくは学校で、世界で1ドル未満で生活するヒトが○○億人もいるって習って、「なんて貧乏(=不幸)なヒトが世界には溢れてるんだ」ってショックをうけたことがある。
スラムも行った、ローカルな人のうちにも沢山泊めてもらった、ボランティア活動とか色々参加した。
確かに、今手当てを受けないと、食事をしないと死んでしまうというような人もいた。
けど、「大半の人は日本人より幸せ」だった。
親が両方働いてないような家族でも、子どもは元気に外で野良犬と走り回ってた。
だれかが誕生日のときは、家族・親戚が盛大にお祝いをしに集まってくれた。
でも結果、日本人より1/30ぐらいの収入しかない人だって、とても幸せそうに見えた。
もちろん彼らには彼らなりの苦労はある。だからこそ、日本人みたいにどうでもいいことに左右されてる余裕はない。
「自分の価値観で生きる。」
それこそが今日本人が見失っているものだと思う。