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【正規留学の体験記】フィリピンの大学留学が今熱い!?

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フィリピン正規留学体験記
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19歳の頃に初めてフィリピン、バギオを訪れ、初留学を体験。その後、フィリピンという国に心を掴まれ、バギオ市内の大学入学を決意。幾度の挫折を経つつも無事3年後に卒業を果たす。それからもこの国の為に尽力したいと意気込み、現在もフィリピンに在住中の熱血ライター。

こんにちは、ユキです。さて!!!今日は遂にこの日が来ました。。(どれだけ待ち詫びた事か。。)フィリピンの大学留学についてお話しさせて頂きたいと思います!

実は何を隠そう、私もバギオ市内の大学を卒業しています。何故そうなったかというお話はまた後程!

フィリピンといえば英語留学だけかと思われがちですが、実はフィリピンで大学留学という選択肢もあるのです。フィリピンの大学留学を一言で説明すると、安い・英語授業・しっかり勉強出来るなのです。

早速紹介していきます!!

なぜフィリピンの大学へ?

まず、そもそも何故フィリピンの大学で勉強したいと思ったかという事についてお話しさせて頂きます。

私は19歳の頃、初めてフィリピンという国に出会い、フィリピン国内の学園都市バギオ市の語学学校で半年間英語を勉強しました。それまで何のスキルも無かった自分は、半年間でここまで英語力を伸ばす事が出来たという結果が確実な自信に繋がりました。せっかく身に付けた英語力!これは海外でガンガン英語を使って仕事をしたい!となったわけです。

そこで選んだのはカナダ、オーストラリアでした。ワーキングホリデーを使って2か国に約1年半滞在して、色々な仕事をしました。HISのシドニー支店、日本食屋さんを開いたり、、本当に色々ありました。英語を使って書類を書いたり、役所に行ってお堅い役人さんと激しいバトルをしたり、、!笑 初めての経験だったので、毎日がとても刺激的でした。そして20歳にしてかなりの額を稼いでいました。笑

ただ、オーストラリア滞在中にかなり深刻な皮膚病にかかり、止むを得ず日本に帰国。。。泣

志半ばでオーストラリアを去ることになり、お先真っ暗。どうしようかなと本気で悩んでいました。

それからは通院しながら日本国内の会社を転々としながら働いていました。そして帰国後2年程経ち、自分が出来る事の限界が見えた気がしたのです。

今まで企業の面接では、『君は何が出来るの?』と聞かれたら『誰よりも早く動けます!!』と答えていました(そう答える事しか出来ませんでした)。

それではやっぱりダメだという事に気づき、『大学で勉強しよう!!!!』となったわけです。

 

大学で専門分野の体系的な知識を身に付けて、英語を使って仕事をする!それが私の第2のビジョンでした。その後はどこの大学に行こうかと考えていましたが、せっかくなら英語を使って勉強したいと思ったわけです。

アメリカ、イギリス、カナダ、、、色々な所をネットで調べまくりましたが、どうやっても学費が支払えない、、、、泣 欧米の大学って足元見すぎだろ!!!とか勝手に思っていました。(その当時は頑張って貯めた貯金も300万に満たないくらい。。) どうしようかと途方に暮れていたある日、1つの白昼夢を見たのです。

白い光に包まれたその先にはどこか見覚えのある光景が。木々が茂り、緑豊かな街が目に浮かんできたのです。勿論それは3年前に半年間滞在していたフィリピンのバギオ市だったのです。

『おおおお!!!!!これだ!!!』

私にとってその夢はまるで暗闇に差し込む一筋の光でした。すぐに入学日を調べ、それに向けて着々と準備を始めました。満を持して、訪れた2度目のフィリピン。到着してすぐに不安に駆られました。

『帰りたい』・『なんで来てしまったんだろう』・『現地の大学に馴染めるのかなぁ』

なんて思いながら大学に向かいました。

 

フィリピンの大学入学までの道のり

大学に向かう道は留学時代の懐かしい街並み。

ああ、遂にバギオに帰ってきたのか。不安や寂しさを払拭するかのように、じわじわと何とも言えない嬉しさがこみ上げてきました。

『この年齢になって大学かぁ。(当時23歳)』

日本で言えば、皆大学を卒業し、新卒でバリバリ働き始めた頃です。

『やっとこれからスタート地点に立つ為の旅が始まる!』

ひしひしと心の中が熱くなり、気付けば、あれ、、目にゴミが。。。。(涙)

募る想いをぐっと押し込めて大学に行くと、そこには最初の恐ろしい程の洗礼が待ち受けていました。

 

出願手続きでトラブル続き

早速大学のオフィスに行き、入学したい旨を伝える。英語は全く問題無かったので自信満々です。

オフィススタッフ:「分かったよ。じゃあ次はこのオフィスに行って書類書いてきてね。」

早足で次のオフィスに向かい、諸々要件を伝えました。

オフィススタッフ②:「あ、ごめんね。その書類はここじゃないの、あそこのオフィス行ってみて。」

ユキ:『え、そうなの。。。』

そういうものなのかと思いつつ、指定された次のオフィスへ。

オフィススタッフ③:「あ~その書類ね。今は担当がいないので明日来て」

ユキ:『え!!!!!!そんなことあるの!?!?!?」

仕方なくその日は帰宅し、次の日にまた出向く事に。

オフィススタッフ③:『おはよう~じゃあ手続きをするので、また明日取りに来てね。」

『明日?????????????どれだけ時間掛かるし、どれだけ待たせるんだよ!!!!!」

そんなこんなで次の日以降もたらいまわしにされるわ、仕事遅いわで、フィリピン人ってほんと。。。(泣)と思いながら、何度も日本とフィリピンを行き来することになり、遂に入学手続きを完了しました。本当ここまで来れただけなのに達成感半端じゃない!!

フィリピンの正規留学自体が日本ではメジャーじゃないので、フィリピンの正規留学のエージェントってあまりいませんが、専門の留学エージェントがあるなら絶対に使うことをお勧めします。1人でやろうとするとわけがわからなさ過ぎて、時間のお金も相当浪費しちゃいます・・

フィリピンでの家探し&一人暮らし

これも割と苦労しました。。フィリピンで語学留学を予定されている方、もしくは既にご経験がある方、もいらっしゃいますが、、フィリピンの語学学校は基本的にお部屋にはシャワー、トイレが付いているし、シャワーも温かいお湯が出ます。黙っていてもご飯は出てきます。洗濯もスタッフがやってくれます。お部屋も毎週掃除してくれます。何か問題があればすぐに日本人スタッフに相談出来ます。

フィリピンの1人暮らしは全く持って違います。温かいお湯なんか出る家は基本高いですし、トイレだってレバーをひねれば水が流れるものでもありません。自炊にしたって、お米を炊く事すら米そのものが違うのでとても難しい。日本のように何でも売っているコンビニがあるわけでもありません。海外での一人暮らしというのは想像以上に厳しいものなのです。

私も最初にやっと見つけた家にはシャワーが無かったので、蛇口から出る水を大きなバケツに溜め、毎朝4時に起きて1時間程電熱線(水を温めるボイラー的な役割)で温め、それを使いながらお風呂に入る毎日でした。

洗濯も洗濯機は付いていないですし、一人暮らしの為に買うのももったいないと思い、基本全て手洗いでした(人生で初めてレベルで洗濯板を使いました。笑)

そんな毎日を過ごしながら、やっと大学の入学日がやってきました。

住宅事情についても、日本と同じように考えていたら私のようにかなり苦労するので、こちらも専門のエージェントさんに相談することを切にお勧めします。

大学入学初日

クラスメイト、先生との対面

そりゃ~もう全てがドキドキでしたよ。早すぎるくらいに大学に着き、自分のスケジュールの授業教室へ向かいました。雰囲気も見た目も日本の教室と少し違うので、少し戸惑いながら1番前の席に着席。続々と他のクラスメイトが入ってきます。皆タガログ語で談笑しています。勿論僕は全く理解出来ないので蚊帳の外。

少し時間が経ち、遂に先生が入ってきました。

先生:『Good Morning Everyone!!』

クラスメイト:『Good Morning Ma’am』

ユキ:『おぉ。。。こういう感じなのか。。そう言うもんなのか』

正直おどおどしていました。(苦笑)

まず先生バリバリ英語喋ってんじゃん!という所。海外滞在歴も2年近くあった自分も何だか新鮮でとても驚きました。そうすると、お決まりの出欠確認と自己紹介タイム。

自分の名前と、専攻、年齢、出身地等々、色々な事を皆英語でスラスラ喋っていきます。

ユキ:『おぉ。。。皆英語上手い。。。そしてめちゃ堂々と喋ってる。。』(圧倒されている)

そして遂に自分の名前が呼ばれます。

先生:『ユキ、、?What country are you from?(どこから来たの?)』

ユキ:『 I am from Japan!!』

カルチャーショック

クラスメイト:『えっ、日本人なの。。?そうなの。。?(ざわざわ。。。)』

実はこの大学で初めての日本人学生だったみたいで、とても驚かれました。

『日本ような世界の先端を進んでいる国の大学に行かず、何故フィリピンの大学なんかに来たの?』

『良いなぁ、日本人はお金持ちだからたくさん選択肢があって羨ましい』

『私が代わりに日本に行って勉強したい』

フィリピンの大学に入ってこれらの事を言われる事が1番多かったです。フィリピンの人達は口には出さないけれど、自分達がまだ日本と比べて比較的貧しい国の国民だと言う事を自覚していました。そして、日本の学生とは違って、フィリピンで大学に行ける層なんて本当に極僅かです。必死の思いで親が大学に通わせてくれている事を皆学生達は知っています。なので、フィリピンの大学生はとても勤勉です。日本人としてたくさん感じる事がありました。

そんなこんなで何とか初めてだらけの初日を終える事が出来ました。新鮮な事が多すぎて何だか少し若返ったような気がして嬉しかった半面、これからどうなるんだろうという不安も大きくありました。

大学在学時代

分からない事だらけでした。アカデミックの英単語の知識がまだ全然十分でなく、専門用語の応酬で最初の頃はちんぷんかんぷんでした。おまけに日本とは授業の進め方、方法、全てが違うので本当に戸惑いました。これ、平気で落第するんじゃないか。。と本気で思っていました。

ご存知無い方もいると思うので補足しておきますが、第2次世界大戦時代、フィリピン、そしてバギオは日本軍VS米軍の主要戦地でした。我々は罪もないフィリピン人達にたくさんひどいことをしてしまいました。そんな歴史的背景があるので、日本人を嫌いなフィリピン人の方も中にはいらっしゃるのです。

そんな中、何人もの心の温かいクラスメイト達が困ってる僕を助けてくれました。

クラスメイト:『ユキ、昨日出された宿題は終わった?』

こんな感じで毎日連絡をくれて気遣ってくれました。本当に嬉しかったし助かりました。

そんな中で日々月曜日から土曜日まで朝から晩まで授業、そして家に帰ったら夜中まで課題と復習。そんな毎日を送っていました。時にはクラスメイトと一緒にグループの課題を夜通し取り組んだ事もありました。

フィリピンの大学は、本当にプレゼンテーションの授業や発表が多く、とにかくアウトプットの機会に恵まれました。そして、知らず知らずの間に英語で論文も書けるようになっていました。

そして、、、遂に長かった大学生活も終わりを迎え、なんと卒業時の成績は学内8位!!!自分で言うのもなんですが、本当に毎日頑張りました。。

まとめ

私の激動のフィリピン大学生活の経験談はいかがだったでしょうか。

結果論ではありますが、私は本当にフィリピンの大学に入って良かったなと心から思います。

以下、私がフィリピンの大学で良かったなと思った理由です。

  1. きっちり学術的な専門知識が付き、しっかり勉強する事が出来た
  2. 学費も生活費も安いので、自分の貯金と稼ぎだけで海外の大学留学を実現出来た
  3. アカデミック面での英語力が知らぬ間にかなり付いた
  4. たくさんの素敵な出会いがあった

 

日本の大学に行っていたら経験出来なかったこと、実現出来なかったこと、そして出会えなかった人。今自分がこうして充実した人生を歩めているのも、この選択があったからだと思います。

人の人生というのは、大小様々の自分の選択が積み重なって今のライフスタイルを形成しています。皆さんのフィリピン大学留学という大きな選択が皆さんの大きな分岐点そして、将来の素敵な人生への第一歩になる事を心より願っています。

 

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19歳の頃に初めてフィリピン、バギオを訪れ、初留学を体験。その後、フィリピンという国に心を掴まれ、バギオ市内の大学入学を決意。幾度の挫折を経つつも無事3年後に卒業を果たす。それからもこの国の為に尽力したいと意気込み、現在もフィリピンに在住中の熱血ライター。

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